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イオアンニス (ゴティア主教・ドロス府主教) : ミニ英和和英辞書
イオアンニス (ゴティア主教・ドロス府主教)[しゅきょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ぬし, おも]
 【名詞】 1. owner 2. master 3. lover 4. god 
主教 : [しゅきょう]
 【名詞】 1. bishop 2. prelate 3. primate

イオアンニス (ゴティア主教・ドロス府主教) ( リダイレクト:イオアンニス (ゴート主教・ドロス府主教) ) : ウィキペディア日本語版
イオアンニス (ゴート主教・ドロス府主教)[しゅきょう]
ゴートの聖イオアンニス(生年不詳 - 790年頃〔ロシア語版ウィキペディアでは791年頃の永眠と記載されるなど、没年に関してネット上の各種ページにおいて様々な年代が記述されている。本記事では基本的にOrthodox Calendar Thursday, July 9, 2009 / June 26, 2009 (Church Calendar) に則りつつ、「頃」の表記を加えた。〕, , )は、8世紀後半の正教会の、ゴート人主教であり〔使用した英語の参考文献からでは「ゴート人を管轄する主教」なのか、「民族的にゴート人」なのかが判然としない。本記事においては曖昧な表現であるが、止むを得ず英語から直訳した「ゴート人の主教」という表現を採った。〕、クリミアゴート族の砦であったドロスの府主教(Metropolitan of Doros)。
正教会では聖人日本正教会ではクリミヤ克肖者神父イオアンと表記される〔出典:『正教会暦 2009年』日本ハリストス正教会教団〕。記憶日は6月26日ユリウス暦を使用する教会では7月9日に相当)。
==生涯==
イオアンニスは両親の熱心な祈りによってクリミアで生まれた。若い内から熱心な修道生活を行い、エルサレムに3年間巡礼した後、故国に戻った。この頃、聖像破壊運動を熱心に行っていた東ローマ帝国の皇帝コンスタンティノス5世により、当時のクリミアの主教が追放されるという出来事があった。クリミアの人々が後任としてイオアンニスに主教着座を懇請したため、イオアンニスは聖像破壊運動が起きていなかったイベリア(グルジア)に赴き、そこで主教に叙聖されてから帰郷した。
787年に、イオアンニスはゴティアにおけるハザールの支配に対して反乱を主導した。ハザールの要塞守備隊とトゥドゥン(tudun)はドロスから追放されたが、1年と経たないうちに都市はハザールに奪還された。イオアンニスは釈放されるまでしばらくの間、イティルの牢獄に入れられた。
死後、列聖された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「イオアンニス (ゴート主教・ドロス府主教)」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 John of Gothia 」があります。




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